テキストやNHK語学講座だけではなく、K-POP、ドラマ、映画と、いまや教材には困らなくなった韓国語。私が学び始めた頃は教材を探すのに苦労したけど、そのうち流行るのではないかな~という予感は持っていました。
私が韓国に関心を持つきっかけとなったのは、一人のサッカー選手です。
Jリーグが始まった1993年、書店にあったサッカー雑誌(「サッカーダイジェスト」だったと思う)をめくっていると、一人の韓国人選手の記事に目がとまりました。その選手はサンフレッチェ広島に入団した盧廷潤(ノ・ジョンユン)。彼は初の韓国人Jリーガーです。
彼は当時の韓国代表でもあり、トップクラスの選手でしたが、通訳もおらず、1日6時間以上日本語を勉強し、国際電話の通話料金が1ヶ月10万円以上。韓国の方が実力は上だったのにJリーグを選んだのは、ジーコやリネカーといったスーパースターがおり、その中で自分の力を試したいと思ったからということでした。なぜ日本に行くのかという国内からの反発もあるなか、異国の地でプレーする盧廷潤選手の名はその場で深く刻まれました。なかなかできることではないです。
韓国については、〇とか棒とか、漢字ではない文字を使っていて、料理がおいしそうだなというくらいの認識でしたが、盧廷潤選手を知ってからサッカー韓国代表と韓国に関心が向き始めました。
大学の第二外国語で韓国語を学び、卒業後、(就職しないで)半年ほど韓国に語学留学しました。帰国後、韓国語を活かす仕事がしたいと思っていたところ、運よく東京で韓国メーカーの翻訳業務にめぐりあい、5年半ほど従事することができました。
今は教材もものすごく充実していて、勉強する環境は整っています。翻訳についても、自動翻訳のおかげでお互いの言語が違っていても交流できるようになりましたが、人名などの固有名詞はわけわかめな語に変換されてしまいます。そこで翻訳家の出番です!というわけで、機会があればまた翻訳もやってみたいです。
盧廷潤(노정윤、NOH Jung-Yoon)
1971年3月28日、韓国・仁川広域市出身。高麗大学卒業後、Jリーグ創設と同時に、サンフレッチェ広島に入団。ポジションはMF。サンフレッチェ広島(1993-1997)→NACブレダ(オランダ、1998)→セレッソ大阪(1999-2001)、アビスパ福岡(2001-2002)、釜山アイコンズ(2003-2004)、蔚山現代FC(2005-2006)。1990年から2000年まで韓国代表として活躍。2010年から韓国のゲーム会社の顧問として活動している。